餌というと家畜やペットなど動物が食べるものというイメージがあるものの、時折人間でも「餌食べよ」と様々な意図を持たせて言う人もいます。
食品業界に身を置いていて思うのですが、これからの世の中、わりとこの「食事をする人」と「餌を食べる人」に分断されていくんだろうなと思います。
というか、すでに始まっているなと。。
で、餌を食べている人は、それが「餌」ということに気がついていないかもしれません。
こんなことを思うようになったのは、自分が食品業界にいるのもそうですが、30代になって自分の体の変化を感じはじめたのがあります。
10代や20代初めの頃は「質より量だ!」なんて言って、食べ物の体への影響なんて考えずにガツガツ、ムシャムシャ食べていましたが、30代に突入し食べ物の質にも目を向けるようになりました。
というのも、食べ物の「質」が自分の日常生活のパフォーマンスに大きく影響を与えると実感するようになったからです。
- 〇〇を食べると肌が荒れたり便秘がちになる
- 安い酒を飲んだ翌日の回復力が衰えた
- 食べ放題は気持ち悪くなる
- スーパーの揚げ物はくどい。。
- 霜降り肉は胃がもたれる
と感じるようになり色々試しましたが、「質」の良い食品を食べた時と、そうでない時ではその違いを如実に感じます。
具体的にあげるとすれば、質の良い食品は少量でもお腹も精神も満足します。
私は福岡にある「十石かじはら」さんというお店で料理を食べた時にこのパラダイムシフト的な経験をしました。
量的には多くないのに心は満足し、エネルギーで満たされる感覚を覚えたのですが、似たような経験ってありませんか?
インスタントの味噌汁を飲めばお腹はあたたまります、しかしそこで飲んだお吸い物はなんというか体全体に染み渡るような気がしたのです。
私はお菓子は「全く食べない」というわけではなくToppoが割と好きなのですが、あれはいくら食べてもあまり体にエネルギーが補充される感覚も感じません。
なんで、こんな違いが出てくるのかなぁなんて思い、いろいろ調べて勉強してみると「なるほどなぁ〜」といろいろふに落ちてくる事がたくさんあります。
この辺は説明するととてもブログ一記事では済ませられないくらい長くなるのでメルマガで少しずつ紹介しようと思いますが、この違いを感じるという感覚はわかってくれる人はいると思うのです。
で、そんな感じで体と相談しながらご飯を食べて、自宅で筋トレをコツコツした結果、30年来の体型コンプレックスは解消できましたし、食べ物の質を気にしていなかった10代や20代の頃に比べて体は柔軟になり、「よっこいしょ」も言うことがなくなりました。
ご飯を食べるとどうも体がだるくなったり、眠くなったりする人もると思いますが、食べ物の質や量をいろいろ変えてみて、その後の体調の変化を比べてみると面白いです。
先日読んだ本で、非常に面白いと思った視点なのですが、今の世の中、世界中で「手軽」や「便利」という美辞麗句を使った
「奴隷を生産するため食品」
「奴隷が他の物に消費をまわせるように価格を抑えた食品」
で溢れているという視点。
誰の奴隷かというと、国、そして資本主義のシステムです。
私は食品業界に身をおいていますが、これから益々広がると言われている所得格差に追従する形で、私たちが普段口にする食べ物にも「食事」をする人と「餌」を食べる人という格差が生まれるとみています。
というか、すでに始まっています。
始めに断っておきますが、私は「餌」を生産、製造する人や消費する方達を否定するつもりはありませんし、どちらかといえば世界的な食糧不足の解決するための手段の一つだと考えています。
農業技術と食品加工技術向上の功罪とったところでしょうか。
大切なのは、両者のメリットとデメリットを知った上で、自分にとってどちらが良いか選択できるように違いを知り行動を起こす事だと思うので、この記事をかきました。
食事と餌の違いを生む要素
ここで、食事と餌の違いを広辞苑のような辞書を引っ張ってきて定義してもしょうがないので、私個人としては、食事が
「食べた人を幸福感で満たし、なおかつ体がエネルギーで満ちてくる食品」
であるのに対し、餌は
「腹を満たすだけとか、いわゆる『必要な栄養』を摂取できる類」
「エネルギーを奪い体を疲れさせる食品」
「便秘や肌荒れ、花粉症など体の機能にバグを起こす食品」
だと考えています。
必要な栄養を摂取しているのに、エネルギーを奪うというのは矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、「栄養学」には落とし穴があると私は実感しています。
お腹が減ったから食べ物を口にしたのに
- 食べた後はだるくなって眠い(エネルギー切れ)となってしまったり、
- くどくて胃もたれや胸焼けがおきたり
- 栄養補助食品(サプリ)を摂取してもあまり変わらない
または、忙しいからとサクッとお腹を満たすだけで終わるような食べ物だと、そこに食べる喜びや楽しみはほぼないと言えるのではないでしょうか?
で、先ほどの「奴隷を生産するための食品」になるのですが、資本主義の世の中ではみんなお金を稼いで食べていかなければいけません。
日々の仕事で追われれば、食事の準備や後片付けは大変です。
そんな中、
「まぜて飲むだけで一日に必要な栄養素の〇〇分が取れる」
「忙しい社会人の為にサクッとタンパク質」
「○秒チャージ」
は確かに、手軽で便利です。
忙しい人の悩みを解決するための商品開発に励む人たちをどうこう言うつもりはないのですが、やっぱりどうも私は本の中で言われている「奴隷の為の餌」に思えてしまいます。
ゲーテの格言で
None are more hopelessly enslaved than those who falsely believe they are free
自分が自由だと思っている奴隷ほど、救いようのない奴隷はいない
というのがあるのですが、これに近い形で、私たちは知らず知らずのうちに「餌」が「食事」だと思うように洗脳されきていると思うのです。
まさに家畜が何も知らずに低価格で仕入れられる「肉骨粉入りの餌」や、太らせて霜降りにする為の「ビール酵母入りの餌」が与えられているように。。。
では一体、誰から洗脳を受けているか?
それは私たちが餌を自ら進んで選ぶようになったら得をする人たちです。
資本主義というシステムを動かしている人たちと、実際に餌を生産している人たちです。
ちなみですが、私は共産主義でも社会主義者でもありません。。。汗
自分は「リバタリアン」だと思っています。
リバタリアン:他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張する
Wikipedia : リバタリアニズム
今ある仕組みの中で、自分にとって最適な選択ができるように行動(知識武装&経済的自由)しましょうという感じです。
餌を食事と思いこませる洗脳
私はオーストラリアに住んでいたり、東南アジアやヨーロッパ辺りをノマド生活していた時期がありますが、この「餌」的な食品はもう世界中で蔓延していると感じます。
というか、世界の人口は増え続けているので、「餌」の生産が必要になります。
その代表例としてこの記事で紹介するのがパンやパスタ、つまり「小麦」があります。
もしからしたら
「いや、小麦って昔からあるでしょ・・」
と思うかもしれませんが、昔の人が食べていた小麦と現在世界各地で生産されている小麦は違います。
昔の人は「ヒトツブコムギ」か「フタツブコムギ」という品種を好んで食べていましたが、現在は「パンコムギ」という品種に「品種改良」や「遺伝子組み換え」を施した種類が何千とあり、こうした小麦が人体にバグを生じさせている結果がたくさんあります。
どんなバグか?
- 抜け毛
- ニキビ
- 偏頭痛
- 集中力の低下
- 食欲増進(食べても、また食べたい中毒)
- 脳内麻薬による脳の活性化
- ありえないレベルの血糖値上昇による内臓脂肪蓄積
- 軟骨の破壊&炎症による関節痛
やっかいなのが、食べてすぐ生じるバグと、じっくりと蓄積されてじわじわと体を蝕む形で生じるバグがあり、それらは数ヶ月、数年単位のスパンで捉える必要があるのです。
「運動しているのにお腹周りの脂肪がとれない」という場合は、小麦が原因の場合も可能性もあります。
栄養学的には小麦は「炭水化物」なので、体には必要な栄養素です。
しかし、その「炭水化物」という部分だけを切り取ってしまうと、そこに固執してしまいやすくなり、木を見て森を見ず状態になります。
老化防止やアンチエイジングの抗酸化物質の「ビタミンC」も、単体でがっつり摂取すると逆に危険です。
なぜなら、ビタミンCの代謝の過程で、ヒドロキシラジカルという活性酸素(老化物質)を生じさせる恐れが高まるからです。
なので、ビタミンCを摂取するならビタミンEも必要です。
話を戻しますが、じゃあ、なんでそもそも品種改良をするのか?という部分ですが、
それは生産効率を高めるためとして
- 1つの穂からの収穫量を増やす
- 高温に耐えらえれる
- 日照りに耐えられる
- 病気に耐えられる
- 殺虫剤に抵抗性のある
などがありますし、味や食感の部分もあります。つまりパンのサクサク感やもっちり感をだし、美味しく感じさせるための改良です。
地球上のあらゆる場所で生産できれば、それだけ生産量を増やせます。世界的な食糧不足の解消に役立ちました。
そして、矮性交配種といって、小麦の茎の部分を短くした品種がつかわれます。
茎が短くなれば、穂が実っても折れません。
穂の部分食用部分が多くついても倒れにくくなります。
そして収穫周期も早くすることできます。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という時代は終わってしまいました。。。
こんな風にして、生産効率を高めた食品は安く提供が可能となりますが、そこには体のバグや病気、疾患という代償を払うことになると思います。
そうして起きた疾患を抑えるために
- 抜け毛対策シャンプー
- ニキビケア商品
- インスリン注射
- 皮膚科の診療代
- 花粉症対策の空気清浄機
などに支払えば、自分が頑張って稼いだお金をそこに投じることになります。
こんな風に知らず知らずのうちに、価格を抑えた餌を食事と思い込ませ、余ったお金で製薬会社、食品会社、医療業界、化粧品会社にお金を回して経済を動かしてくれている資本主義の奴隷へと導きます。
家畜ならぬ人畜は言い過ぎかな?
世の中は生産効率を高めた安い食品で溢れているので、その価格に慣れてしまうと「食事」となる食品は価格が高く感じてしまい、ますますドツボにハマりやすくなります。
食事を食べる人、餌を食べる人
こうした食糧事情を知らずに餌を食べ続けるのと、知ってて食べるのでは事情が異なります。
私は知らずに食べていた時は体の不調感じていましたが、やめてから回復しましたし、仮にまた食べて不調になればやめれば良いという選択肢を知っています。
これは価値観の問題だとは思いますが、手軽なシリアルバーやプロテインバーを食べていた時期もありますけど、やっぱり美味しいご飯が一番かなぁとも思います。
幸い私は、1日1食で生活しているので、朝ごはんや昼ごはんの準備や後片付けに時間を費やす必要がありません。
帰宅後の時間に余裕があるときに、美味しいご飯を堪能します。
クラスフェッドビーフのヒレ肉、美味し! 噛むほどに口の中に広がるお肉の旨み。
— シゲマロ通信 (@shigemaropress) May 3, 2023
胃もたれや胸焼けとは無縁のステーキ。 pic.twitter.com/ocWIDpOblm
冒頭でも書きましたが、これからは食事を食べる層と餌を食べる層の分断がどんどん進むと見ています。
食事を食べる層は、自分が口にする食べ物がどのように生産されたのか、そして食後の自分の体調に気を配り、餌を食べる層は味と価格に気を配ります。
以前の私もそうでしたが、プロテインという餌を選ぶ時は、タンパク質の含有量はもちろん「味」と「価格」という、コスパ重視でした。
でも、今思うのは
自分の体はお金をかける価値のないものなのか?
という部分です。健康って失ってその価値に気がつきます。
- 花粉に悩まされずに生活したい
- 肌が痒い状態から開放されてタスクに集中したい
- 関節の痛みに怯えずに体を動かしたい
- 早く風邪を直して、元気に遊びたい
とか一度は思ったことあるはずです。
ちなみに、先にあげた現代の小麦は「アヘン」や「ヘロイン」と同じくらいの中毒症状があると言われています。
私の知り合いにパンが好きでパン屋に努めていた人がいますが、彼女は偏頭痛や体調不良に常に悩まされていました。
もしかしたら、いつもパンを食べていたので、それが原因だった可能性もあります。
でも、彼女はいろんな国で主食となっているパンが原因になるわけがないという感じのスタンスでした。
彼女にとってはパンが主食であることが常識なのです。
アインシュタインの格言で、私がとっても好きなものに
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen
常識とは18歳までに蓄積された偏見のことを言う
があります。
常識なんて時代や国、宗教が違えば変わります。
同じ日本でも、(本物の)武士の間では、名誉と命を比べたら命なんて安すぎるくらいの価値観でしたが、今はどうでしょうか?
常識を1度疑うことで、得られるメリットってたくさんあると思います。
常識に囚われすぎて、身動きが取れなくなることは呪縛だと思います。
常識を疑うメリット
私は1日3食という常識を疑い多くのメリットを手に入れました。
具体的には
- 毎食ごとの支度と後片付けからの開放
- 忙しかった朝がコーヒーだけになるのでゆとりが出来る
- 日中の集中力が半端なく持続する
- 日中の動く間、体が軽い
- 時間にゆとりのある夕食がさらに御馳走感覚になる
- お腹が満たされた状態で、そのまま眠りに入る
といった感じです。
これをノマド時代に出会った人に伝授したら、彼もその効果を実感。
これを旅行先で知り合った人に伝授したら、こんなラインをあとでいただきました。
体調変化としては、眠くてボーッとする時間が格段に減りました。
以前は食後長いと2時間近くウトウトしていたので、、、しかも朝昼ぞれぞれで笑
眠い時間も手間も減ったおかげで1食に時間かけて楽しく食べられるので、時短の面でも気分の面でもメリットしかないと感じています。
とのご報告。
で、筋肉をつけるためにはプロテインや鳥のささみばかり必要という常識を疑った結果、美味しいご飯を食べながら体づくりが可能となりました。
餌ではなく食事を食べる体づくり
これは価値観の問題ですが、私は40、50となってもプロテインやサプリを飲みながら体づくりを行うより、美味しい食事を堪能しながら、時にはお酒も楽しみながら、引き締まった体を維持したいと思っています。
歳を重ねると消化機能が衰え、お肉が食べられないという意見もありますが、きちんと選べば美味しく食べ続けることができると実感しています。
実際70歳ちかい私の両親も、以前はそんな風に言ってましたが、こないだ親孝行の一貫で送ってあげたお肉は喜んで食べてくれました。
→【リピ確定】年老いた両親への親孝行におすすめな激ウマグルメ
ちなみに、私は筋トレに関しては苦手だと思っていますし、だいぶ遠回りしてきています。
そして、いまだに筋肉に対する熱い情熱なども特にありません。
私がトレーニングを続ける理由は、「メンテ」的な要素を満たすためです。
このブログでは、引き締まった体型とグルメを追求する為に私が行ってきた情報を紹介しています。
そんな情報に興味のある方にむけて、ブログ内であれこれ探し回る手間を省くためにメール講座も用意してみました。